北の国から・・・出たい

北海道在住、北国ならではの情報をお届けする・・・訳ではない、ただの三十路男の日記

アイドル業とは苦行なのかもしれない

今週のお題「私のアイドル」

 

アイドル。

 

テレビによく出るようなアイドルじゃなくとも、中学、高校とやたらとキラキラしていたアイドル同級生があなたのクラス(学年)にもいたのではないだろうか。

 

男子で言えば、スポーツができる、そして勉強ができる、さらに見た目もシュッとしててイケメンで楽器(ピアノ率が高い)ができる。

 

女子で言えば、可愛くて、成績優秀で、楽器(ピアノ率が高い)ができて、元気が良い。

 

10代でこのアイドル枠に入るような人たちはしばらくスポットライトの当たる道を歩み続ける。

 

まぁ、モテるんですわ。

 

しかし不思議なもので20代突入したあたりから同年代に対してアイドルという存在はあまり見かけなくなっていく。

 

同年代かそれより年上で存在するアイドルは芸能界にしか存在しなくなっているのだ。

 

学生から社会時になってしまえば、就職したてのフレッシュな時期ならまだかろうじてチヤホヤされている感じの人もいるが、半年も経てばだいたい皆くたびれてくる。

 

 

 

アイドルとは若さである。それ故、その特性には期限が設けられている。

 

その期限付きの特性を上手く活かせるか否か。

 

アイドル特性を持つ人たちと言うのは、ある意味かなり年齢が若い段階で自分を試されている。

 

アイドルという存在は周りから何かしらの期待を受けているはず。

 

その周りの期待に応えるため、彼ら彼女らはそのように振る舞う。

 

しかしだ、「アイドル」として過ごすという事は「慢心」と「抑圧」という悪魔と戦うことではなかろうか。

 

「慢心」に取り憑かれ、調子こけば凋落など一瞬である。

 

本当の自分をさらけ出すことを知らぬまま、自分を「抑圧」し続ければ必ずその歪みは大人になってから表出する。

 

自分をコントロールし続けられるのが「アイドル」でいられるもう一つの条件なのであれば、その条件をいつまでも保ち続けるのは10代・20代にはなかなかの試練である。

 

中学、高校、大学と進めばコミュニティは広がってくる。

 

新しいライバルも出現し、その人気に敗北する物もいれば、某アーティストみたいに悪い仲間と関わるようになって闇落ちする物もいる。

 

なまじチヤホヤされてきただけに、見向きもされなくなるとその後の反動も大きい。

 

私は決してスポットライトが当たるようなタイプの人間ではない。

いかに目立たずに暗躍できるかを考えて学生生活を送っていたので、いわゆるアイドル枠の方々の苦労は露ほども知らない。

 

しかし、学生ながらに端から彼らを見ていて「すごいなぁ・・・」と思わずにはいられなかった。

 

あれだけ脚光を浴び、その中でファンの期待に応える。

 

疲れるだろうなぁと・・・。

 

この前、高校時代にはモテモテだったA子さん(仮)と会ったが、まぁ、なんというか歳とったなぁ〜と口が裂けても言えなかったが思ってしまった。

 

なんだかちょっとやさぐれた雰囲気すら感じ取れた。

 

年齢を重ねるごとに、見た目はその人の生き様を映し出す。

 

30代でこれなんだから、40代、50代と歳をとればもっと変わっていくだろう。

 

と言うのも学生時代に地味だった人が現在やたらキラキラしていたりするから面白い。

 

そういう人は同じ年でも若くハツラツとして見えるのだ。

 

あぁ、きっと素敵な20代を過ごしてきて、今も充実した日々を送っているのだろうなぁと。

 

私の知人に見た目はモテるだろうなというルックスの女性がいるが、トータルで見るとパッとしない人がいる。

 

案の定、若い頃から周りにチヤホヤされ、周りの期待に応えたりしてきたようだが、結局自分が何をしたいのかわからずに迷走してしまっている。

 

まわりの目を気にしすぎるようになり、周りに合わせる人生を送るようになってしまったのだ。

 

きっと彼女は「悪魔」に負けたんだろうなぁと思う。

 

そんな「アイドル枠だった」彼女を見て、人気者になるのも考えものだなと感じた。

 

30年生きてきて、私自身にアイドルは一度もいたことがない。

 

だって、アイドルはあくまで偶像だから。

 

それより一緒に楽しく歳をとっていけるリアルの仲間がいれば充分です。

 

今日も好き勝手書いたなぁ・・・(´∀`)

やっぱりインドはすごかった・・・

今日、本屋をうろついていたらこんな本が目にとまりました。

 

アラビア文字入門」

 

グラビア文学入門ではない。

 

アラビア文字入門である。

 

アラビア語ってなんだか他の言語と違って他を寄せ付けないオーラ出してるよね。

 

だって

اللغة العربية

ってもうわからないもん(ちなみにアラビア語という意味らしい。)。

発音すらワカランチンである。

 

しかし、謎めいているほど魅力を感じてしまうのが人の性というもので、しばらく表紙を眺めたあと、徐ろにその書を手にとってページをめくってみた。

 

そのページにはこう書いてあった。

アラビア語は右から左に向かって読みます。」

 

何だって〜!!!

 

この世に生をうけて30年。

海外旅行も経験し、アラビア文字を目にすることもあった。

 

しかし、これ右から読むん?右から読むん?

لم أكن أعرف

 

コペルニクス的転回である。(何が)

いや、これ本当今日一でショッキングでしたよ。

 

あれ?でもアラビア語ってエクスクラメーションマーク使うのかな?

ついてるところそういえば見たことないような・・・

 

謎が謎を呼ぶアラビア語・・・

 

右から読むだけあって、書くのも右からみたい。

でもアラビア語って横書きだから、右利きの人が文章書いたら手が汚れちゃうんじゃないかしら・・・(๑╹◡╹)?

 

そう思ってページをめくると、文章を書くときはときは用紙の右端を上げて斜め上から斜め下に向かって書くそうな・・・。

  

日本人は几帳面に用紙に正対することに比べて、アラビア圏は発想が自由ですな。

 

ちなみにアラビア文字は28文字と思っていたより少なく、そこはラテン文字と大差がないようで・・・。

 

そう考えると漢字ってすげえなぁ。ひらがなだって50文字近くある訳でこれをミックスして使う日本語のエグさが伝わってくる。日本語を読み書きできる外国人はすごいでございます。

 

アラビア文字に話を戻すと、アラビア文字には太陽文字(حروف شمسية月文字حروف قمرية二種類にわかれるらしく、なんとも厨二病チックな感じがでてきていいですね。

嫌いじゃないですよ。こういうの。思わずアラビア文字表記しちゃいましたよ。読めないのに。

 

詳細は読んでもよくわからなかったのでカッツアイしますが(๑˃̵ᴗ˂̵)ユルシテ

これさりげなく読めたらカッコいいよなぁと単純思考の私は思ってました。

 

でもさきほどマイナー宣言してしまったアラビア文字ですが、意外と日本人にも馴染み深いものだとあなたはご存知でしょうか?

 

そう!数字!

 

アラビア数字といえば、

1、2、3・・・・と普通に日常で使用されているアルね。

 

漢数字やローマ数字よりも圧倒的に使い勝手がいいというところで採用率が高いのかな?

 

漢数字は一、二、三・・・・六百三十四・・・

といった漢字・・・じゃなかった感じで画数多いし場所とるし

 

ローマ数字はⅠ、Ⅱ、Ⅲ・・・・DCXXXIVとなんか収集つかない感じになっているし、ドラクエファイナルファンタジーで使われているし・・・

 

これがアラビア数字だと634だからね。楽だよね。

 

ここでふと思ったのはアラビア数字ってもしかして数学の発展にめちゃめちゃ貢献したのでは?と興味本位でググってみると

 

アラビア数字の原型はインド数字であり、インドと言えば0という概念を発見したことで有名で、負の数や方程式の計算を発展させたのもインド人とのこと。

 

そのアラビア数字が西洋に伝わり、数学が発展していったのだとか。

 

恐るべしインド人。

 

さすがかの有名なガンジス川が流れる川である。

 

そこで沐浴した私を一週間以上の下痢と高熱で苦しめたインド。

 

そんじょそこらの国とは訳が違うぜ!

 

やはり「0」の発見て本当にすごい事だったんだね。

IT分野で活躍するインド人も多いと聞くし、もともと数学的センスの良い国民なんだね。

 

きっとこれからくるぜ、インド人🇮🇳

いや、もうきてるらしいけど。

 

でもアラビア数字って左から読むよな〜と思ったそこのあなた。

 

それについてもググりましたよ。すごいねGoogle先生。笑

 

その答えは数字に関しては起源がインドだからだそう。

アラビア文字とはそもそも生まれが違う訳だ。

 

だから通常の文章は右から左へ

数字についてインドから流れてきたなごりで左から右へ

となっているんだって。へぇ〜。

 

アラビア数字のことをアラビア語では「インド数字」というらしいから、その辺はきっちり区別しているんだね。

 

文字の世界って中々マニアックだけど、こうやって軽く首突っ込んでみるだけでも面白い。

 

それにしてもインド恐るべし。

 

では今日はこの辺で。

مع السلامة(さようなら)

受験とゾンビと独房生活

今週のお題「受験」

 

センター試験が終わり、今は大学の出願をしている頃でしょうか?

 

私にとっての大学受験はもう10年以上前の思い出である。

 

私が通っていたのは進学校ではなかった。

 

田舎にある生徒も先生ものんびりしている学校だった。

 

それによって大学受験もそんなに力をいれている状態ではなく、多くの生徒が推薦とか何やらで私立大学とか専門学校に進学、もしくは就職する感じだった。

 

センター試験を受けるのも学年で1割いるかどうかという感じ。

 

私はその1割に入っていた。

 

希望する進学先は、センター試験5教科7科目と二次試験が必要ないわゆる「国立大学」というところだったのだ。推薦を狙えるような堅実な学校生活は送っていなかったので、当然「受験」で勝負することに。

 

しかし、先ほど申しました通り、私のいる高校はセンター試験を受けるような輩が1割程度のノンビリ田舎高校だったので、「受験」がどれほど大変なものか理解していなかった。

 

まぁ、勉強嫌いだったし。

 

まわりがすごいのんびりしてる感じだったので、受験勉強の大切さをまったく解っておらず、高校3年生の夏くらいまでボケーっとして過ごしていたら、それを見かねた親がさすがにボケーっとし過ぎだと思ったらしく、3年生の夏休みに某予備校の夏期講習にほぼ強制的に参加させられる羽目になる。

 

そこで、衝撃的な光景を目にする。

 

ベンキョーに対する姿勢が全然違うのだ。

 

(え?何この人達こんなガチで勉強してるの?ヤバくない?www)

 

まったくもって失礼だし、とんでもない勘違い野郎だったが私はこんな風に思った。

 

しかし、いわゆる難関大学や医学部や獣医学部など、狭き門を目標としている彼らを観てさすがに私も今のままではマズイのではと感じはじめた。

 

(『大学受験』ってこんな真剣に取り組むものなんだ・・・。)

 

本当今更であるw

もう高校3年生の夏であるw

今の私だったら、「何言ってるんだこの平和ボケ野郎!」と罵って唾吐きつけていたであろう。

 

さらに私の『ヤバいよモード』に拍車をかける出来事が。

 

そこは予備校。浪人生もいた。

 

某予備校の夏期講習に通う間、その予備校の寮みたいなところで暮らすことになったのだが、その寮の部屋も独房のようで全然テンション上がらない。

 

すれ違う浪人生っぽい人たちをみていると、どことなくドンヨリした空気を纏っており、その原因は絶対に独房のせいだと思った私は、この大学受験を失敗するとこの独房で生活することになってしまうと思った。

 

あんなドンヨリ人間になりたくない!(←浪人生に失礼)

 

そう思った私は完全受験勉強一本モードに入って言った。

 

夏期休暇が終わり、高校に戻った私はもう推薦などで進学先が決まりキャイキャイしている学生を尻目に大きすぎるビハインドを埋めるために猛勉強を始める。

 

数少ない受験組と集まって、ノンビリしている学生達に悪態をつき(感じ悪い)、仲間どうしで励ましあいながら勉強した。

 

本当、あのときはムカついてたな〜。笑(遠い目)

 

一時期ストレス溜まりすぎて、ホラー映画とか苦手なはずの私が息抜きにPSのバイオハザードをプレイするようになり、ゾンビとかハンターとかタイラントとかリッカーといったB.O.Wと友達になっていった。

 

時にはロケットランチャーを何度もぶっ放し、「この〇〇野郎が〜!」とやり場のない怒りを発散させていた。(いや勉強しろよ。)

 

まぁ、そんな新境地を開きつつも中々伸びない成績に「やっぱり取り組むのが遅かったのか・・・」と諦めモードになっていた中、センター試験を迎えることに・・・。

 

(あぁ、独房生活濃厚・・・。)

 

と思って受けたセンター試験で奇跡が起きる。

 

意外と取れたのだ、点数が。

 

(お!マジで!?)

 

と思った私はそのまま波にのる。

高校の進路指導の先生も「大丈夫じゃね?」的な事を言っていたので、この一縷の光を希望に二次試験のお勉強をする。

 

無事受験を終え、恐る恐る結果をみるとなんと合格!

(あぁ、ようやくこの戦いに終止符が・・・涙)

 

しかも一緒に一丸となって勉強していた仲間達も志望校に合格していたので、嬉しさ倍増である。

 

こうして私の受験勉強が終わったのだが、受験勉強を乗り越えてみて、良かったなと思った事がある。

 

一つは、人生をかけた(ギリギリの)勝負を経験できたこと。

この経験をしたお陰で、その後の人生において上手く行くかどうかわからないという事柄にもアグレッシブな決断を下せるようになった。そういう決断をしたきっかけで自分の世界を広げる事ができた。

 

もう一つは一生懸命やることの大切さを知った事。

何事も一生懸命やっていくと、その結果に関わらず、人生の糧になる。

上手くいけばその努力は自信に繋がるし、上手くいかなかない時は、何が足りなかったか見えてくる。

この何が足りなかったかは一生懸命やらないと見えてこないモノが多い。中途半端な努力だと、ただ手を抜いただけだからと自分を甘やかしてしまい、失敗の本質が見えてこない。

それに諦めるにしても一生懸命やったあとなら納得もいく。

 

そして最後に。

バイオハザードが上手くなった。

これは完全に副産物である。

今までホラーが苦手だった私がホラーを克服できたのも受験勉強のお陰であろう。

大学に行ってから、片っ端からバイオシリーズに手をつけたのは言うまでもない。

 

これからは各大学の筆記試験が待っているんだね。

頑張れ受験生!きっとその努力は後々の人生の役に立つから!(ゾンビも怖くなくなるはず!)

お題「もう一度行きたい場所」 最後

完全に忘れたましたが、よくよく考えて見たらもう一度行きたい場所を第3位まで紹介するという趣旨でこのお題について書いていたのです。

 

そう、書いていたのです。

 

という訳でチャッチャと終わらせます٩( 'ω' )و

 

もう一度行きたい場所の第1位は!

 

テロテロテーン♫

 

アフリカ大陸最高峰、キリマンジャロ山頂

 

学生時代、植村直己の本を読んでから海外の山をずーっと登って見たくて憧れてた山の一座。アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ

 

標高は5,895m!!

 

それまで登った最高標高は富士山の3,776mだったので、標高4,000m以上の世界には強い興味があった。

 

他の高い山は難しくても、キリマンジャロなら素人でもいけるんじゃねぇかと考えていた私は学生時代の頃から登頂を狙っていた。

 

しかし、学生時代にこの夢を叶えることができず社会人を迎えてしまったのだ・・・。

 

そんな私にチャンスが訪れる。

会社で所属された部署がなんと夏の間わりと暇な部署だったのだ。

(そのかわり冬忙しかった。)

 

社会人になれば金も貯めやすい!と思った私はその実情を知るや否や社会人一年目にして計画を立て始める。

 

まず、キリマンジャロ登頂計画を成功させるためにクリアしなければいけない問題が三つあった。

 

一、資金の問題

アフリカへの航空券、そしてキリマンジャロ山に入山するためのガイド代、そして山岳ギアの調達。

普通にこれらを手配した場合、40〜50万円は必要になってくる。

この中古自動車が買えるくらいのお金を準備する必要があった。

これは、もうコツコツと貯めました。社会人2年目の夏を目標にして50万円コツコツ貯金しましたよ。

 

二、時間の問題

多くの社会人トラベラーの壁として立ちはだかる長期休暇取得問題。

近隣の山を日帰りで登ってくるのとは訳が違い、キリマンジャロを初心者が登るには一週間くらいはかかるため、社会人で行くにはそれなりの長期休暇を勝ち取る必要がある。

これについては普段の勤務態度と根回しがとても重要だ。

社会人一年目にして、係長と他の係員にさりげなく『夢は海外登山』アピールするのだ。そして、その願いを聞き入れてもらうには普段の行いが重要になってくる。

ここで幸運だったことが2つある。

一つは係長や係員が私を非常にかわいがってくれたことだ。これは本当にメンバーに恵まれた。だからこそこの計画を立てられといっても過言ではない。

もう一つは大学時代の旅の経験が評価されたこと。

大学時代にインドに自転車で行ったり、四国でお遍路やったりしていた事を知らせた上でキリマンジャロの話をすると、「まぁkatobonくんなら仕方ないか。」という雰囲気になり、むしろ行かせないと可哀想みたいな空気になっていったのだ。

経験とはとても大事である。

そんな幸運も重なって、根回しが完了し社会人2年目の夏にして2週間の長期休暇をゲットできたのである。(もちろん仕事も頑張ったが・・・)

先輩いわく「社会人2年目で2週間も休んだやつ初めて見たわ・・・」といわれるほど私がいた職場では異例だったようです。愛されててよかった⭐️

 

三、高山病

これが一番やっかいといえばやっかいだった。

高所トレーニングにも気軽に行ける訳ではないし、低酸素トレーニングに通える金もない。ただ走ったり、自転車でヒルクライムトレーニングしたり、その辺で一番高い山にハイペースで登りまくって心肺機能を鍛えるしかなかった。ただ、それでも高山病にかからないという保証はない。体質にも左右されるからだ。

どんなに準備して行ってもこれにやられたら登頂目前でも下山を強いられることもあると聞いていたので、かなりビビっていた。

それでも挑戦したかった。とりあえず行ってみるしかない。

 

とりあえずできる限りのことはクリアし、高山病の不安をかかえながらもアフリカのケニアという国に旅だった。

 

キリマンジャロにたどり着くまでもいろいろありすぎて、もう本当てんやわんやだったのだが、ここではその話は置いておく。ナイロビ怖すぎ・・・。

 

そして、ようやく辿り着いたアフリカの大地にどっしりと座すキリマンジャロ

 

登山ゲートに立ったときの喜びも一入だった。

 

そこから4日間ほど登山の旅が続くのだが、標高があがる度に景色も変わり、また面白い人たちとも出会ったりして本当に楽しい山行となる。

 

しかし、案の定4,800m超えたあたりから体調がすぐれなくなる。

高山病だ。

 

しかし、山頂まではあと少し。

体調も歩けないほどではない。

 

最終アタックの日。

山頂でご来光を拝むために夜中の1時に最終キャンプを出発。

 

ラッキーだったのは高山病の症状が軽かったこと。

しかし呼吸は苦しく、ゆっくり少しずつ標高を稼いで行く。

 

そして、朝の6時ごろ。ついに、ついに山頂にたどり着く。

 

登頂と同じタイミングで朝日が昇り始める。

 

あたりが明るくなってようやく周りの景色が見えて来た。

 

気温も低かったので、太陽の暖かさが身に染みる。

 

山頂からの眺めは本当に美しかった。

まるで窓枠なしで飛行機から眺めている景色を見る感じ。

 

理由もなく感動して涙がでていた。

今までしてきた準備の苦労や、抱えてきた不安も一気に吹き飛び。

ここに来て良かったと・・・。心から感じていた。

 

その後、無事下山し、あまったお金と時間でサファリを楽しみ、快くアフリカへ送り出してくれた家族や職場の仲間たちにお土産を買って帰りました。登頂の余韻を感じながら・・・。 

 

もし、もう一度行けたとしてもあのときほどの感動はないかもしれない。

 

でも、10年か20年先にもう一度訪れることができたらいいなぁと思わずにはいられないほど印象に残る景色がいまだに脳裏に焼き付いている。

 

私がそこからすっかり山の虜になったのはキリマンジャロのせいである。

人の振り見て我が振り直せ

現在、営業マンとして仕事をしている私ですが、
マネージャーのこの一言が嫌いです。

「悔しいな~、見返してやろうぜ!」
「打倒○○!」

同じ会社の支社の成績が自分の支社より良かったり、自分の行動の障壁になる人がいたら、やっつけようとします。

いや、闘争心を否定している訳じゃないんです。
仕事をしていく上では、そういう気持ちも大事だと思うから。

でもね、こっちを巻き込まないで欲しいんですよ。
こっちはこっちで顧客優先で仕事してて決してあんたのゲームの勝ち負けのために仕事してるんじゃないよ。

正直な話、会社は大事かもしれないけど、マネージャーや上司があなたたちじゃなくても良いと思っている私は、他の支社より成績が劣っていようと興味がない。

商売していく上で一番大事なのはお客様だろう。

しかし、マネージャーが考えることはゲームの勝ち負けである。
お客さまに商品の提案について相談しても、彼の中の正解をどうお客さまにわからせるか、論破するかという内容の回答しかない。

上司に対しての態度も気にくわない。
面と向かって意見を言う勇気もなく、普段は言いなりのくせに、私たちの前では良い成績出して上司見返してやろうぜ!と言うのである。

上司から色々言われて大変なのであろうが、あなたの反撃のために私たちが居るわけではない。

私はあんたの兵隊じゃない。

もう本当に独りでやって欲しい。
建前では会社に貢献するためと言ってはいるが、完全に独りよがりである。

と、色々書いたらちょっとスッキリした😃

でも反面教師にしないと…

気づかないうちに自分も独りよがりになっているかもしれない(・・;)

人の振り見て我が振り直せの精神を忘れずに

お題「もう一度行きたい場所」 続き

 前回、もう一度行きたい場所を第3位まで発表すると言って

第3位の説明で力尽きてしまいました。

 

と、いう訳で今日はその続き

 

もう一度行きたい場所・・・

第2位は!!

 

トゥルトゥルトゥルー!

 

日本の和歌山県高野山!!

 

高野山

 

あの空海が開いた聖地

 

そう、あれは私の人生のターニングポイントとなる旅の果てにたどり着いた場所でした。

 

話は遡って大学生時代の冬、時は忘年会シーズン

 

私は学部の仲間達と忘年会をしておりました。

そこで普段からよくつるむ友人と、これから来る春休みに何をするか話をしていたのです。

 

完全に酔っ払って盛り上がっていた私と友人は勢いで忘年会を抜け出し、近くの本屋へ直行。

 

酔った勢いで、いろいろ旅行関係の本がある辺りを漁っていると、ふとある本が目にとまります。

 

本のタイトルは

 

「四国巡礼 八十八ケ所の旅」

 

そう、お遍路さんの本でした。

友人とその本を見てテンションがあがり

 

「(歩いて)遍路しようぜ!!」

 

と、いう流れになったのです。

 

しかし、しかしですよ。

あくまでこれはお酒の入った状態での話です。

冗談で終わるはずでした・・・。

 

翌日、その友人を大学のパソコン教室で見かけ

何を調べているのかな〜と思って後ろからのぞいてみると・・・

 

調べてたんですよ。

歩きお遍路さんの情報を・・・

 

(あ、これはガチなんだな・・・)

 

と察した私は、覚悟を決めます。

そう、四国への巡礼の旅に出るのです。

 

案の定、友人から出発いつにする的なニュアンスの事を聞かれたので、試験の日程などを加味して出立の日を決めたのです。

 

忘れもしない、その日は2月14日(バレンタインデー)でした。

 

バレンタインデーに気合いれて坊主頭にした私と友人は徳島の地に降り立ち、遍路グッズを一通り揃えて、その第一歩を踏み出したのです。

 

そう、受難のはじまりでした。

 

もうここから先を話すとすごい長くなるので割愛しますが、それはもう大変でした。

 

・・・いや、本当もうマジで大変でした。

 

しかし何より感動したのは、四国の方々の暖かい支援でした。

 

四国の風習で、お遍路さんにお接待すると自分に徳が積まれるという考え方があるようで、あちこちでアツいサポートをしてくれるのです。

 

当時、金のない学生だった僕らは野宿しながら旅を続けていたのですが、ご飯を恵んでくれたり、中には見ず知らずの僕らを家に泊めてくれたりして、本当泣きそうになるくらい親切にしてくれたのを覚えています。

 

ひたすら毎日、雨の日も雪の日も60km近い距離を淡々と歩き続けることができたのは本当に四国の方々のおかげでした。

 

巡礼を終える頃は歩くペースが違うという理由で友人とは別行動をとっていたので、愛媛県に入ったあたりからほぼ一人で旅をしていました。

※私たちが歩いた順打ちという周り方は徳島→高知→愛媛→香川の順でまわります。

 

なので、四国の方の暖かいお接待は一人旅になってから余計に心に沁みました。

 

最後、香川県の八十八ケ所目の寺『大窪寺』にたどり着いたときには、すでに3月の半ば。 実に一ヶ月以上が経過していました。

 (友人もちゃんと八十八ケ所歩ききりました。)

 

 

そして八十八ケ所のお寺を巡り、四国巡礼の旅を終えたお遍路さんが最後に向かうところは和歌山県高野山

 

私も、当然のように高野山を目指してました。

 

もうね、多分この頃にはもう出てたと思います。黄金色のオーラ(๑╹ω╹๑ )

 

一ヶ月以上に及ぶ四国一周ウォーキングをこなした私の肉体は完全に無駄な贅肉が削ぎ落され、かつてないほど気に満ちた状態になっていました。

 

そんな私を迎えてくれた高野山で最高のご褒美がまっていました。

 

それは高野山奥の院へ続く2kmちかくの参道

 

普段、観光客が多い場所だと思うのですが、誰もいなかったのです。

 

そう、貸切状態。

 

静かな参道をたった一人で静かに歩く。

 

しかも四国八十八ケ所巡礼を終わらせた後。(ここ重要)

 

この状態で静かな参道を歩いているときは本当に幸福な時間でした。

 

私にとって奇跡の時間でした。

 

夢のような時間が終わり高野山を後にした私は「もう二度とあの空間に行く事はないのだろうな」と感じました。

 

もう一度行きたいけど、多分もう二度と行けない場所。

 

それが高野山です。

 

この旅を終えた頃は、かなり高いレベル(何が?)で本当にもう「悟れるんじゃね?オレ。」とか思っていましたが、俗世に戻ってからは順調に煩悩をひとつずつ取り戻していってしまいました。

 

しかし、空海さんは私にとても素敵な特技を残してくれました。

 

般若心経の読経(経本なし)

 

巡礼中、何度も唱えているうちに暗記してしまったのです。

 

私は宴会の一発芸として般若心経を唱えることで何度苦境を救われたか・・・

 

空海さん、そして四国と高野山、ありがとう!!

 

なんか最後すごい小っちゃい話になってしまった・・・。

お題「もう一度行きたい場所」

お題「もう一度行きたい場所」

 

旅行が好きで、あちこちプラプラしていた学生時代。

 

もう本当、ここ行きたいな〜って思ったら金を貯めては行ってました。

 

就職してからは、ワガママ言いつつ旅を続けていましたが

一ヶ月以上に及ぶ旅はやはり難しい。

 

自由って素晴らしいなぁ・・・って思う瞬間。

 

クソッタレ社会に不満バクハツ。

長期旅行させろやコンチ◯ショウ!(言い過ぎ)

 

まぁ、それはともかく。

 

このお題を見て、かつて行った土地が色々フラッシュバック(使い方違う)してきたので、あの景色をもう一度っていう場所をベスト3で発表したいと思います。

 

誰も興味ないと思うけど発表します。

えぇしますとも。自己満ですから。

 

では第3位!

 

ジャカジャカジャカジャカジャーン!!

 

インドのバラナシ、早朝のガンジス川

 

あれは忘れもしない21歳の秋。

 

自転車でインドを旅していたとき、バラナシという街と出会いました。

 

ここはヒンドゥー教徒達が聖なる川「ガンジス」を目指してやってくる神秘的な街なのです。

 

まぁ、家族ほったらかしで出家して好き放題修行している坊さんやら、日本からやってきてそのままインド人と結婚して暮らしている女の子やら、色んな意味で神秘的な人たちが集まってくる街なので本当にカオスです。

 

そんななかなか俺を退屈させてくれないこのバラナシ。

 

そこに脈々と流れる、すべてを受け入れる川。ガンジス川

 

せっかくなんでそのガンジス川で沐浴することになりました。

 

朝6時前だったかな?

 

あちこちで火が焚かれ、朝焼けの明かりが薄っすらと辺りを照らし出す中、真面目(?)な信者が沐浴をしている光景をみたときすごい感動したのを覚えています。

 

敬虔な信者が川に浸かりお祈りをする光景は

とても清らかな気持ちにさせてくれました。

 

この時は本当に綺麗で、来てよかったと思う瞬間でした。

 

ただ、問題はこの後でした。

 

川が汚かった・・・

知ってたけど・・・

 

実際、川縁にいって川の様子を目の当たりにすると「Oh!」と自然と口にしてしまいます。

 

当時「ガンジス川でバタフライ」という映画があり、長澤まさみがこのガンジス川で実際に泳いだという事前情報をキャッチしていた私は、ここでビビってひいては男が廃る!と妙な使命感を抱き、ガンジス川で沐浴すると決めていたのです。

 

そう入ったの、あの川に。

 

とてもじゃないけどダイブする気持ちにはなれず、ソロソロと熱湯風呂にはいるかのごとく片足からゆっくり浸かっていきました。

 

川底はヌメっとしており、思わず「Oh!No!」と口から漏れ出てしまいましたが、なんとか肩までつかることに成功。

 

雰囲気大事!と思い、ちょうどでてきた朝日に向かってヒンドゥー教徒でもないのにお祈りしてました。

 

しかし、まぁ何というか、隣にいたインド人の親父が歯を磨いていて

「クチュクチュ・・・ぺッ!」

と川に直接吐き出すわ(しかも奴がいたのは川上)

 

船に乗ってガンジス川観光している観光客には

「Wow!! Crazy Japanese!!」(笑)

と言われ写真撮られるわ

 

目の前を笑顔でクロール水泳するインド人はいるわ

 

神聖な時間に水をさしてくる、さしてくる・・・。川なだけに。

 

もう朝からこの街はカオスでしたよ。

 

最初見たときの神聖な景色はやつらのおかげで一気に吹き飛ぶ訳ですね。

 

そんなこんなでなんとかガンジス川で沐浴というミッションを果たした私は

即行でホテルに戻りシャワーを浴びたが・・・

 

その三日後・・・

 

壮絶な下痢と高熱に冒されます。

ガンジス川の力をまざまざと見せつけられた。

 

ガンジス川ってコレラ菌も生きられないくらい汚いらしいです。

なんかよくわからないけど、ヤバいんだなぁというのは伝わる・・・。

 

一週間に及ぶ闘病生活のあと、私は思いました。

 

もう二度とあの場所には生きたくないと・・・。

 

・・・あれ?なんか違うぞ?