北の国から・・・出たい

北海道在住、北国ならではの情報をお届けする・・・訳ではない、ただの三十路男の日記

脱獄犯とその後

先日テレビを観ていたときに、アメリカの脱獄不可能と言われている監獄から脱出したという囚人の話をやっていた。

その囚人は何年も脱獄のための手段を探し、手段を見つけたらそのためのツールを慎重に集めた。

彼はいくつかの運も味方にし、ついにその監獄から脱出に成功する。

しかし、最後の最後にミスを犯し、すぐに捕まってしまう。

何だか残念な結末だったが、私は彼の執念はすごいと思った。(犯した罪はいかんけど)

私は彼は自由になったら何がしたかったのかなぁ。と思った。


昔の仲間を探して、また悪いことするつもりだったのかな?

あなただったら、もし、明日から会社行かなくてもいいんだよって言われたらどうしますか?

多分、戸惑いますよね。

だって何をしていいのかわからないじゃないですか?

今いる環境から脱出するということは、その先にビジョンがあり、強烈なモチベーションがないと脱出してから路頭に迷うということです。

自分で道を切り開いていかなくてはなりません。

塀を越えた先にある世界は確かに広いし自由だけど、その広い世界を楽しめるか否かは自分の中にある程度のビジョンがあるかどうかにかかっている。

運が良かったら誰かが道を示してくれるかもしれないけど、それはテレビゲームやマンガの中の物語だ。

今、会社にいても安心という時代ではなくなってきている。
終身雇用をしてくれる可能性は決して高くはない。

別に今の環境から脱出するつもりはなくても、広い世界に放り出されるかもしれない。

そうなったとき、あなたはどうすれば良いか考えていますか?

自分で道を切り開いていくという行動が出来る人とそうでない人。

路頭に迷うか、信念を持って突き進むか。

先の脱獄犯はアテがあったのは確かだ。もう一度自由な世界で何かをヤラかしてやろうと考えていたと思う。

これからの時代。本当に『優秀』な人間というのは彼のような人間なのではないだろうか?

強烈な目的意識を持ち、不屈の精神で困難を乗り越える。(まぁ彼は捕まったけど、大人しく諦めたとは思えない…)

もし彼が犯罪に手を染めず、別の人生を歩んでいたなら、きっと大物になっていたんじゃないか。

そう思わずにはいられない。

女王蜂とアイデンティティ

女王蜂というバンドをご存知でしょうか?

 

私の好きなバンドなのですが、その中でボーカルのアブちゃんというなんともミステリアスな存在感を放つアーティストがいます。

 

年齢も国籍も性別も不明のこのアーティストから放たられる楽曲は、その独特のアイデンティティを保ち続けるための強烈なエネルギーを感じるのです。

 

基本的に集団は異質な存在を排除しようとしますが、この日本という国で異質な存在であったであろうアブちゃんは何かと苦労と葛藤があったんじゃないかなと勝手に想像しています。

 

しかし、そのアイデンティティを隠して生きるどころか、思いっきり世間に向かって放ち続ける彼女(?)の生き方に勇気付けられる人は本当に多いんじゃ無いかなと思う。

 

私自身、ちっちゃい頃から親の転勤の関係で転校など子どもにとっては大きく環境が変わる経験をすることが多く、新たな完成された集団に入っていく大変さを思い知ったことがあります。子どもながらに。

 

新たな集団に飛び込んでいくとき、どういう行動をとるか。

 

最初は隠すんです。自分を。目立つとイジメられるから。

 

とにかく、その集団の考え方やルールみたいなものを探るんです。そしてそれに合わせていく。

 

そうすることであまり目をつけられることもなくなります。

 

郷に入ったら郷に従え精神ですね。

 

学校なんて村社会みたいなもんだから、転校生のような異質な存在は特に目をつけられます。

 

しかし、その生き方も結構息苦しいんですよね。(笑)

とにかく、高校生までは自分のまわりに考え方や価値観が近い人間が少なかった。

 

できれば自分を解放して楽に生きていきたいけど、そうすればイジメられるかもしれない。

 

ジレンマです。

 

私が本当の意味で楽な生き方をできるようになったのは大学に行ってから。

 

私は大学時代、地元北海道を出ました。

 

そして大学できた様々な地域から集まってきた(いい意味で)アホみたいな仲間と一緒にいたり、海外旅行に行くことで出会った様々な人の考え方に触れることにより、今まで周りに合わせて生きるみたいな思考回路をとにかくぶっ壊されてしまいました。

 

「あぁ、いいんだ。自分出していって。」

 

そう思えるようになったんです。

 

むしろそうしないと「つまんない奴」扱いされるような仲間が周りに多かったです。

 

けっこう自分を出して生きるのって勇気が必要だと思うんですよ。

 

でも、発信しないと仲間はみつからない。

 

事実、私は就職で地元に戻って来てからもとにかく自分の考え方を発信するようにしてます。

 

そうすると身近にも仲間がいたんだなぁと思わされることがあります。

 

「俺(私)も実はそうなんだよね!」って言う人が案外いたりするんです。

 

みんな隠してたんです。本当の自分を。

 

中学・高校時代に一言も会話したことないような人とそれで仲良くなったり(笑)

 

女王蜂やボーカルのアブちゃんを見ていると、そんなアイデンティティを発信することの必要性を感じさせてくれるし、勇気を持たせくれます。

 

そりゃ衝突することもたまにありますが(笑)

 

でもそれでいいんです。

 

合わない人とは合わない。

 

無理に合わせる必要ないんです。

 

お互いそういう「見方」があると認め合えればなお良いですが、それが出来ない相手なら放っておきましょう。

 

女王蜂の存在は「もっとさらけ出していこうぜ!」と背中を押してくれるようです。

 

勘違いしちゃいけないのは、ここで言いたいのはワガママを言えってことじゃないんです。甘言や一人よがりを言うのとは訳が違います。

 

本当に心から一緒にいて楽しめる仲間や何かを創り上げていける仲間が欲しいなら自分の考え方や価値観を発信しようよということです。

 

ただ増えてゆくようで減ってゆく日々を

使い果たさずあなたと出会えたら

            「緊急事態」(女王蜂)

 

一人でも自分にとって素晴らしい仲間と出会えたら嬉しいですね。

 

なんとなく独り言

今日何気なく手帳を眺めていたらあることに気がつきました。

 

今年のバレンタインデー2月14日(水)は、なんと・・・

 

仏滅です!!

 

こんにちはかとぼんです。

 

昨日、職場の飲み会の二次会でいわゆる「女の子」のいる店に行きました。

 

まぁ、比較的若い女の子がおっさんや若造の話し相手をお酒飲みながらしてくれるようなところです。(えっちなお店ではないよ!)

 

女の子に何歳?と聞くとだいたい21歳とか20歳とかいう答えが帰って来るんだけど、まぁ学生アルバイトもけっこういるのかね。比較的時間があって、時給も良いのでしょう。週5でアルバイトしているという子もいました。

 

年齢詐称はあまりなさそうなので、20代前半なのは間違い無いでしょう。

 

そんな、ピチピチギャル(死語)にアラフォー世代、もしくは40代後半のおっさんが頑張って絡む光景が目の前で繰り広げられている。

 

心の中で「がんばれおじさん達!」と応援していたが、会話が続かないのをブリッ子でごまかす様子にしだいに一人のアラフォー男がイライラしてきているのが目つきでわかる。

 

私は再び心の中で「耐えろ!耐えるんだおじさん!ここはそういうお店だから!ブリッ子する若い女の子との会話を楽しむお店だからーーー!!!!」っと叫んだが、彼は途中で投了してしまう。

 

私もその女の子と少し会話をしたが、すぐに投了した。なんかショウモナイ会話しか出来ない。秒でイライラした。

 

基本自分の話(自慢話)が多く、まったくもって接客がなっていない。

 

聞けよ!相手のこともっと興味もって聞けよ!!

 

てめぇの話を聞きにここに金払って来てるんじゃねぇんだよ!

(注・上司の奢りなので私は一切お金を払っていません。)

 

職場のお付き合いでこういう女の子と会話するお店に何回か行ったことがあるけど、楽しい会話ができた記憶がない。むしろ疲れる。

 

わからん、何が楽しいのかわからん。

 

でもこういうお店は多いのだ。(さすがすすきの)

若い子と話せるってだけで男はお金を払ってやってくるのだ。

ボロい商売である。

 

まわりを眺めてみる。

 

来ているお客さんはわりと20代〜30代男子が多い。

 

・・・おいおい、まだまだイケイケの男子がお金払って女の子と会話しに来てるのかよ。と思ってしまった。

 

それってなんか虚しく無い?

 

ねぇ?どうなの?虚しく無いの?

 

それで活力もらって明日から頑張れるってこと?

 

相手はビジネスとしてでしか君たちの相手をしていないのだよ?

 

私にはわからないことがたくさんある。

 

そして一つ気づいたこともある。

 

そもそもターゲット層が違うんじゃ無い?この店。

アラフォーはターゲットでは無いんじゃ・・・。

 

さっきから無口になっているアラフォー男子は早く帰りたそうにしていたので、なんとなく私も帰りたいオーラを未だに女の子と噛み合わない会話をしている先輩(40代後半)にアピール。

 

なんとかお開きに持って行くことに成功し、そのお店を後にする。

 

けっこう良い金額たようで。(まぁ奢りだからいいけど)

 

あぁ、これくらいの金額なら面白い本2、3冊は買えただろうに・・・。

 

と考えたのと同時に、もう二度とこのお店行かないだろうなぁ。と思った。

飲みニケーションを勘違いしている人へ。

あぁ、明日会社の飲み会だ〜。

 

いっきたくなーーーーい!!

 

っと言うわけで、数年前に飲みニケーションは必要だの不必要だの話題に上がっていた時期がありましたが、私は完全に飲みニケーション不要派でございます。

 

私自身、お酒があまり強くないのであまり飲み会というものに参加はしたくないのです。酔っ払いの相手ほど興ざめするものはございませぬ。

 

しかも、会社の飲み会となるとなおさら。

面白い同僚と飲むのは全然構わないのですが、普段とれないコミュニケーションをお酒の力を使って取ろうとしてくる輩は本当に嫌っす。

 

酒の場で「なんか悩みはないか?」とか「思っている事あったら俺にいってみろ。」とか言って来る人いるけど、普段あんたに言ってもダメだから言わないのに、アルコール入った状態のあんたに言うわけないだろ。

って感じダス。

 

あと、職場の同僚の悪口とか秘密とかアルコール入ったら喋る人も嫌ダス。

一緒にいてうんざりするダス。

 

くだらないゴシップ話をあんたとするために貴重な時間とお金を浪費するのはごめんダス。

 

あと、「今日は俺が出すから。」とキメ顔で言うけど、こちとらサービス残業しているようなもんなんだから、むしろ残業代欲しいくらいダス。金よこせダス。

 

そんなんなら一発ギャグでもしてもらって笑わせてもらった方が100倍マシダス。

 

飲みニケーションとは何のためにあるのか?

 

せっかく飲むんだから、楽しくないと意味がないんですよ。

 

辛気臭い話もいらないし、説教してくるなんて以ての外だし(本当何を偉そうに)、そもそもお前なんか興味ないのに一緒に飲んでやってあげるだけありがたいと思えって言う感じ。

 

真面目な話をアルコール入った状態でしたところで、まったく進展なんてありゃしない。

 

じゃあ先輩職員達は若い人を飲みに誘ってはいけないのか。

 

そういうことではないのだ。

 

上司が部下を飲みに誘う。

私個人の意見を言わせてもらえば、別に誘うのはかまわない。

そして、おごってもらわなくてもいい。

ただ、貴重な時間とお金を相手から奪うんだから楽しいお酒の場を作って欲しい。みんなが笑顔になるようなお酒の場を作ってほしい。要望はこれだけである。

 

それが出来ないのなら誘うな!ってことです。

 

「笑う」というのは凄い力を秘めているんですよ。

どんなに行き詰っていたって、笑うことが出来ればそれなりに頑張ろうと思うんですよ。その人とまた一緒に仕事したいって思うんですよ。

 

人を笑わせるのは大変だということを考えれば、一生懸命笑わせてくれているんだなと相手に感謝の気持ちすら湧いて来るんですよ。

 

会社の人と飲むにあたって、なぜアルコールが存在するか。

 

それは普段シャイでなかなか面白い事ができない人でも、勇気をだして面白いことをするためにあるんですよ。

 

普段あまり笑わない人が、笑いやすくするためにあるんですよ。

 

ネガティブな感情をさらけ出したいのなら、そういう事が好きな人同士でやってください。

 

言ってしまえば会社の組織なんて寄せ集めの集団なのだから、そのメンバーで飲みに行くのならエンターテイメントにしないと、赤の他人同士の飲み会なんて苦痛でしかない。

 

会社で残業していた方がよっぽどマシです。

 

それが出来ない人があまりにも多いし、部下の愛想笑いすら見抜けていないし、そんなくだらない時間しか提供できないのなら最初っから飲みニケーションなんてしない方がいいです。

 

時間の無駄ですよ〜っと。

氷濤まつり 〜北海道・支笏湖おでかけ編〜

たまには北海道らしい話題をということで

 

「氷濤(ひょうとう)まつり」に行ってまいりました。

 

北海道の支笏湖で毎冬このシーズンに行われるこの祭は、幻想的な世界を楽しめると言う事で道民にも好評です。(たぶん)

 

道外でもけっこう有名なのかな?

 

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家族づれ、外国人観光局、カッポーがやっぱり多いですが、カッチョいいカメラを持って単独で熱心に写真を取っている方もちらほら・・・。

 

今年はなんだか暖かくて雪が少なく、札幌の雪まつりも大丈夫なのかしらと心配になっていますが、ここ数日で寒さと雪が盛り返しているのでとりあえずは大丈夫なのかなと。

 

さてさて、この氷濤まつり。

日中もやっていますが、行くならやっぱり夜かなと。

 

17時過ぎくらいから暗くなり始めて、18時30分には花火が見れます。

寒い中で見る冬の花火はなかなかオツでございます。

売店であったか〜い甘酒でも買って鑑賞してくだされ。

 

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中に入るには寄付って感じでお一人300円ほど必要です。

寒い中頑張って創ったんだろうな〜と思うとなんだか安い気もしますが、中に入ると飲み物や食べ物や写真撮影、神社(!?)とお金かかるところがあるので、そこで使いましょう。

帰りのゲートに寄付する箱があるので、感動してくれた方はそこでお気持ち分入れればいいと思います。

 

中には子ども達が遊ぶ用のスペースや、滑り台コーナーがあってお子様連れでも楽しめようになってます。

 

ただ、基本外なので、防寒対策はしっかりと!!

私が行った時はたまたま風が無かったのでそこまで寒くありませんでしたが、北海道のこの時期の外はやっぱり寒いので行かれる方はしっかり対策してくださいね!

 

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こんな感じでこれくらいの時期から北海道各地で冬のイベントが増えてくるので、北海道に来る予定の方は是非行って見てくださいね!

 

ちなみに、この「氷濤まつり」は

1月26日〜2月18日

開場時間 9:00〜22:00

ライトアップ 16:30〜22:00

となっております。

 

今年は記念すべき40回イベントも開催され

2月21日〜2月25日

の間で「支笏湖 青の祭」というイベントが開催されるようです。

 

hyoutou-special.asia

 

 

話逸れるけど、支笏湖ってわりと周辺に山もあって、夏とかはキャンプとかできたら気持ち良さそうだな〜って思ったりします。

 

こういった冬のイベントも好きだけど、やっぱり寒いのは辛いんで早く夏が来て欲しい。

 

もうすぐ2月・・・。

2月になったらライジングサンのチケット申し込みがスタートするぜぃ。

 

着々と長い冬を消化しつつあり、テンションも日に日に上がって来ております。

 

早く春よこーーーーーーーーい!!

住む場所は適当に選んではいけない。隠キャになります。

今日、電車でシートに座っていたら、目の前に立っていた女子高生の手の甲に緑色のペンで「かっぽうぎ」と書いてあった。

 

女子高生とかっぽうぎ・・・

 

JKと割烹着・・・

 

う〜ん、45点!!(何が)

 

 

こんにちは、かとぼんです。

 

いまの現状を変えたきゃ、環境を変えろ!

 

って聞いたことありますか?

 

環境を変えたら現状が変わるというのは、すなわち環境が人に与える影響の大きさを表現しているのでありますが、実体験として今いる環境を離れてみて確かに大事かもと感じたことを書きたいと思います。

 

これから書くのは、環境の中でも「住む場所」についてです。

 

現在私は訳あって2年ほど住んでたアパートとは別の場所で生活しているのですが、今日ちょっと必要な荷物を取りにそのアパートに帰ったんですね。

 

実質離れて2ヶ月ほどでしょうか。

 

まず、アパート周辺に来た時に

「あれ、ここってこんなに陰気な感じだったっけ?」

と思ったんです。

 

天気は晴れてて、午前中だったのでもうちょっと爽やかさがあってもいいんじゃないかと思ったんですが、今生活しているところと比べてなんだか陰気くさいんですよ。

 

さらに、アパートの部屋に入ったら気分が悪くなってきて、すぐに換気をしたものの、なんだか具合悪いしテンションも上がらないんですよね。

 

ただこの日帰ってくる前も一週間間隔で来てはいたんですが、今日はなんかその陰気具合が顕著でした。

 

部屋を出ると気分が悪かったのが嘘のように治りました。

 

しかし、思い返してみれば、自分がこのアパートで生活していた頃って楽しい事ほとんどなかったなぁって思うんです。

どちらかというとパッとしないエピソードばかりだったんですよ。

仕事とか、趣味とか。友人付き合いも。

 

それにここに住んでいる人たちもなんだかパッとしない(失礼)人たちが多い。

周辺のゴミステーションもカラスに荒らされまくりだし、騒音酷いしで、私思ったんですよ。

 

「俺よくこんなスラム街みたいな所に住んでたな〜」

 

って

 

もう邪気が漂っているんですよ、この辺。

 

住んでた時はわからなかった。

きっとこの邪気に慣れてしまっていたんでしょう。

 

しかし、そこから離れてみると違いがわかる。

 

そう、私は違いがわかる男。⭐️(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)

 

ってそんなのどうでもよくて、その土地を客観的に観察すると本当にそこに住んでていいのか?っていう事が見えてくるんです。

 

札幌に来て初めて住んだのがこのアパートだったのですが、当初は勝手がわからず間取りと立地だけで決めました。

 

あ!思い出して来た!

 

この時担当した営業マンが、こっちの希望をほぼ無視して自分の売りたい物件ばかり紹介してきてムカ着火ファイヤー(死語)だったんだ!

 

そんな営業マンが紹介した場所ってこともあり(人のせいにしてる)、あんまりよく無い場所だったのかもしれません。

 

実際、こうして客観的にみると住んでた時はなんともなかったのに、「ここなんか嫌だな〜。」みたいな部分がけっこうあったりして、なんだか自分とひどく相性が悪く感じました。

 

見た目的にも、感覚的にも。

 

風水とかでその土地の気があるとか言うけど、強ち嘘じゃないのかな〜って思いました。

 

ちなみに今生活している所はワリと快適なのですが、やはり通勤ラッシュは苦痛以外のなにものでも無いので、これをいかに回避するかが今後の課題でございます。

 

『周辺住人の雰囲気やそのあたりを散歩してみたときの気分。』

 

立地などの物理的なメリットも大事だけど、こういった精神的に大きく影響与える項目も大切だな〜と。

 

こういった部分は住み始めてから蓄積ダメージみたいな感じで住人に影響を与えて生きます。悪い影響が出ると隠キャになります。

 

私みたいなその辺無頓着なメンズは特に気をつけましょう。

 

住む場所は自分の直感全開で選びましょう!!

 

これが快適な生活を送るための

大切な住まい選びの教訓でございます。

 

営業マンの言いなりになっちゃダメよ!!

何をしたらいいのかわからない時はウリムとトムミムです。

ウリムとトムミムって聞いたことありますか?

 

これは、パウロ・コエーリョさんいう作家さんが産んだ「アルケミスト」という名作の中に出てくる2つの石の名前です。

 

主人公の少年が、「前兆」を読めなくなったとき、黒い石(YES)と白い石(NO)の二つの石を使って自分がこれからどうすればいいのか決めなさいと怪しいお爺さん(王様)に言われて受け取ったのがこのウリムとトムミムという石。

 

結局、物語の中で少年はこの石を一度しか使いません。

 

あとは自力で「前兆」を読んでいき自分の人生を変えていきます。

 

「前兆」ってちょっとスピリチュアルな感じで宇宙のメッセージ的な怪しげな感じですが、まぁ怪しいの好きなんでそれは置いといて。

 

少年はつまり自分の直感的な何かを信じて道を切り開いていく訳ですね。

石に頼らず。

 

少年が一度だけ石を使った時、欲しい答えは得られませんでした。

 

もう爺さん(王様)詐欺ですよね。

私だったら「あのクソジ◯イ!全然役にたたねぇじゃねえか!今度会ったらた(以下略)」と暴言を吐きまくっていたであろう状況の中で、石から答えを得られなかった少年は何かを悟って、爺さん(王様)を恨む事なく自分の意志で行動を起こします。

 

しかも、途中夢を諦めて地元に帰って大人しく働こうと考えていた時に、この石を見てまた夢を追う道に戻ります。

 

信じるものは救われるです(何が)

 

現代の超情報社会の中で生きる私はもう何を信じて良いのかわからず、信用できない人間に対しては片っ端から噛み付いて生きている世知辛い人生を歩んでいるのに、この少年はなんとピュアな事か・・・

 

10代で初めてこの本に出会った私の頬には自然と泪が頰を伝っていました。

 

「俺もピュアになりたい・・・。」

 

話が脱線して何が言いたいのかまったくわからない感じになってしまったけど、この時少年はなぜ再び自分の夢を叶えるための道を選べたのか。

 

それはもう自分が望む答えはもう見えてるよねって事を悟ったんじゃないかなと思うんです。

 

まぁ、この物語はあくまでフィクションなんで最終的にはすべてがうまくいくのですが、これを読んだ時に、どれだけ自分の望む答えの通りに行動できているだろうかと思ったんですね。

 

ウリムとトムミムがあったら即行で使ってしまいたくなってしまうような現代社会において、人間関係とかシガラミなしで純粋に自分が望むものが何なのか分らない人も多いんじゃないか?

 

このアルケミストの主人公は夢を追いかける中で何度も怖い目に合います。

そりゃもう「いやいやいくらなんでも無茶振りやで!」っていう難題を押し付けられたりもします。

でも彼は逃げ出さなかった。

 

それは自分の望むものがはっきりわかっていたからなんだと思う。

 

だからたとえ途中迷っても、自分の心の声を冷静に聴く事ができる。

 

無茶振りされても、それに挑戦しなければいけないのならする。

 

そういう人間って強い。

 

きっとウリムとトムミムは自分の意志で決めることの大切さと自分の本当に望むものに対して気づきを与えるためのアイテムなんじゃないかなと思うんです。

 

そんなまわりくどいアイテム(失礼)を渡した爺さん(王様)はなかなか育成上手なやり手だった訳です。

 

現代にこのウリムとトムミムという便利な道具はないけれど、もし自分が本当に望むものが何なのかわからないという人は一度その辺にいる怪しい爺さんにお話を聞いてみたらいいと思います。何か変わるかもよ。(最後投げやり)